50音ショートショート

50音分のタイトルで短編を書き終えれたら、関係ないけどとりあえず仕事やめようと思う(-A-)

(う)うざい女

「私ってさ、サバサバしてるじゃん?だから女々しい男ばっか寄ってきてさ、正直恋どころじゃないんだよねぇ。」
今日も亜莉沙は汚い肌にありったけの白い粉を塗りたくり、目の周りを可愛くないパンダみたいにして、普通に不細工な顔でギャンギャン吠えている。

木曜日2限の講義室。日当たりが良くて人の少ない私のお気に入りの席。そこに一人で座って授業を受けるのが居心地良くてとても好きだった。しかし、平和なんていつでもあっさり崩れるものだ。
ある日、何の前触れもなく私の隣の席に腰をおろしたこの女は、毎週毎週当たり前のように現れるようになり、講義中延々とくだらない話を一人で進めていくようになったのだ。同じ学部で、顔を見たことがある程度の、知り合いとも呼べない亜莉沙の突然の登場に、初回2回は「へー」とか「ふーん」と相槌こそ打っていたが、3回目からはうざったくなり、完全に無視するようになった。それでも亜莉沙は私の態度などお構い無く甲高い声でぺちゃくちゃ喋り続け、4回目には私のことをかなり気安く「優子」と名前で呼ぶようになった。

サバンナの餓えたヌーの群れかのような強引な距離の詰め方に、対人ストレスの免疫がない私は多大なショックを受け、お気に入りの席とかもう言ってられないぞと、5回目の講義では両隣に人が座っているような、かなり混んでいる講義室の後方に移動した。こちらもわいわいと私語を慎む気のない学生ばかりで煩かったが、背に腹は変えられぬ。私に向かって容赦なく発信され続けるあのうざすぎる女の話を聞き続けるよりは、こちらの方がよっぽど精神衛生上良い。私はがやがやと騒がしい席でほっと胸を撫で下ろした。
しかし、こんなことで安心していた私はあまかった。
講義開始とともに講義室に入ってきた亜莉沙はいつもの場所が空席なのを確認するとキョロキョロと辺りを見渡し始めた。
「私を探している!」と気付いた時にはもう遅く、ばっちり目があった亜莉沙はぞっとするような満面の笑みでこちらに近付いて大きな声で私の名前を呼んだ。
「なんで優子、そんな窮屈なとこにいるの?ウケる。」
私は知らないふりをしようと努めたが、確実にこのブスは私に話しかけており、気を利かせた私の隣に座る青年は黙って位置をずらし、亜莉沙の席をあけた。亜莉沙は、さもそれが当たり前かのように礼も言わず、ずかずかと私の隣に落ち着いた。平穏だと思っていた空間は、一気に濃すぎる柑橘の香水の匂いに支配される。私は亜莉沙とは目を合わせず静かに頭を抱えた。そして彼女は堂々と机の上に化粧道具を広げ、手鏡に醜い顔を写しながら、聞かれてもいない今夜の合コンの話を始めた。

…今日は医大生との合コンなの。でも医者ってイケメンいなさそうよね。正直気は進まないんだけど友達がどうしてもって。別に彼氏今募集してないんだけどね…。

「ねぇ、優子は彼氏いるんだっけ?」と亜莉沙は突然こちらに顔を向ける。彼女が口から飛ばした唾液が私のノートにぺしゃりと飛ぶ。私はその不愉快さと怒りに、完全に硬直してしまう。
思ったことをきちんと言えない性格にプラスして、対人との衝突を徹底的に避けてきたという私の歴史が、この怪物のような太い神経を持つ女を野放しにしている。これじゃいけない。しかし、成すべき術がわからない。
私が亜莉沙の質問に何も答えられないでいると、亜莉沙はあからさまに嬉しそうな表情を浮かべた。
「あ、もう、ごめんー!聞かれたくないこと聞いちゃったか。まぁ大丈夫よ、彼氏なんていたから何?って感じじゃん?」
神様助けてください。この女をどこかにやってください。助けてください助けてください。
祈り続ける私にお構い無く講義はきっちり90分続いた。そして亜莉沙の過去の恋愛話もきっちり90分続いた。

教授が講義終了を告げた瞬間、まだどの学生も立ち上がりすらしていない間に私は逃げるように講義室を出た。後ろから亜莉沙の声がしたが勿論無視して、途中から走って食堂に向かった。一刻も早くあの化け物から距離をとりたかった。

2限終了後すぐということもあり、食堂はまだ空いていた。軽く息を切らしながら奥へ進むと既に席を取ってくれていた希美が小さく手を挙げてくれる。
「優子ちゃん、お疲れ様。なんで息切らしてるの?そんなにお腹すいたの?」
のほほんと微笑む希美の笑顔を見ると、さっきまでの地獄が嘘だったかのように薄れていった。彼女の前の席に座りながら私は今度こそほっと胸を撫で下ろした。

具の少ないチャーハンを食べながら、私はついさっきまで味わっていた苦痛な時間についてを希美に延々と語った。希美は私の話をうんうんと聞きながらオムライスを丁寧に口に運び、「優子ちゃんはその名の通り優しい子だからね、 皆話かけたくなっちゃうんだよ。」と楽しそうに笑った。
そんな心優しい友人の笑顔によって、亜莉沙に対する憤慨が少し弛んだその時、私の隣の席に突然誰かがどすん腰を降ろした。さっきまで嫌と言うほど嗅いでいた香水の香りが私に変な汗をかかせる。できることならもう二度と嗅ぎたくない匂いだ。私はまたもや自分のささやかな平穏が壊されるのだと悟った。
「もう、優子。今日は一緒にランチしようって誘ってたのにさっさと行っちゃうんだから。探すのに苦労したっつーの。」
私は隣の声の主には決して顔を向けず、スプーンを口に入れたまま正面の希美の綺麗な顔を凝視した。希美は突然出現した謎のブスと私を交互に見ながら目をぱちぱちさせている。
「えっと…亜莉沙ちゃん…かな?初めまして…」
私が浮かべている苦痛の表情を察した希美は、亜莉沙に向かって遠慮がちに話しかけた。亜莉沙は希美に一瞬目をやると、完全に無視を決め込んで自分の鞄から馬鹿みたいに派手なピンク色の弁当箱を取り出し、食べ始めた。希美は投げ掛けた言葉の行き先を探すかのように、またぱちぱちと瞬きを繰り返している。そんな希美と目を合わすこともなく、亜莉沙はべちゃべちゃ不愉快な音を立てながらやけにカラフルな弁当を食べ進め、講義中に語っていた話の続きを私だけに向かって発信し始めた。
希美はいつもなら決して見せないようなひきつった苦笑いを浮かべながら黙々とオムライスを食べきり、私はチャーハンを半分以上残した。

これから買い物についてきてくれないかと懇願する亜莉沙を、これ以上ないというぐらいの冷たい態度で拒絶してから私は希美を連れて食堂を出た。
「優子ちゃんが話してた通り不思議な子だね」と困ったように笑う希美に何度も謝ってから別れ、私は一人重い気持ちのまま次の講義室に移動した。

亜莉沙の声や香水の匂い、話し方や態度を思い出すだけで私は頭が熱くなり、怒りがふつふつ沸いた。あのうざい女に対するストレスはピークに達していた。そんな、決して精神的に良くないタイミングを見計らったかのように講義室に5,6人の女子学生の集団が入ってくる。まだお昼休み中で、講義室にいる学生は少ない。
キャハハハと手を叩きながらけたましい笑い声をあげている集団は一度私の前の席を通りすぎた後、こちらを振り返り、「やっぱあの子だよ」とニヤニヤ言いながら私の前に戻ってきた。
今度はなんなんだ、もう私に構わないでくれ。私はそう心の中で悲鳴をあげながら、「ねぇ」と呼び掛けてきた金髪の女の顔を見上げる。
「ねぇ、あんた渡部亜莉沙と友達なの?いっつも授業一緒にうけてるよね?」
金髪女は明らかに気の強さが伝わってくるような太い声で言う。同じような服装に同じような化粧を施した残りの女たちは、ただケタケタと馬鹿みたいに笑っている。私は無言でただ相手を見つめる。
「まぁわかってるよ、まとわりつかれてるんでしょ?あいつ、まじうざくない?多分頭おかしいんだよね。」
金髪女の言葉に周りの笑い声が大きくなった。
本当になんて日なんだろう。私が何をしたって言うんだろう。静かに授業を受けられれば私は幸せなのに、謎のうざい女に付きまとわれ、恐らくそれが原因で知らない女たちに酷く絡まれている。軽く悲劇だ。ストレスが膨らむ。頭が痛くなる。イライラする。うざい。うざい。金髪女の話は続く。

…あいつ、今日めっちゃ化粧濃かったくない?合コンの話してた?
…あれ私らが誘ったんだけど、嘘なんだよねぇ
…あんなブス誘うわけないじゃんねぇ
…あいつがめっちゃ張り切って集合場所で待ってるとこ想像するだけでウケるー

こいつらは自分たちが亜莉沙より"上"だと示そうとしている。誰に示そうとしているんだろう。私に?亜莉沙に?いや、自分たち自身にか。
人を馬鹿にして、笑って、心底安心している。自分たちはあんなに醜くない。自分たちはあんなにうざくない。他人を使ってそう確かめている。
あぁ、こいつらも、なんて…

「うざい…」

私を置いてぎゃぁぎゃぁと盛り上がる彼女たちの言葉を遮るように私は呟く。今まで笑っていた表情を残して、同じような顔をした女たちは私に目を向ける。朝から蓄積され続けている私の苛立ちは止まらない。
「うるさいんだよ。嫌ならほっときなよ。あんたたちがやってることが飛びっきりうざいんだよ。卑怯で汚いんだよ。そんな自分たちの愚かさ加減を堂々と主張してこないで。」
空気がピンと張りつめるのがわかった。
私の言葉に金髪の顔が赤く歪む。これでもかってぐらい彼女たちは私を睨み付け、とても冷たい声で言う。
「あんただって亜莉沙のことうざいと思ってたくせに。偽善者ぶっちゃって、うざ。」
さっきまでの騒がしさが嘘のように、女子たちの塊は私を置いて講義室の奥へと移っていった。

私にはこのまま彼女たちと同じ講義室で授業をうける逞しさなどなく、今日の授業はさぼることにした。
言いたいことをはっきり言ったはずなのに気分は重い。理由はなんとなくわかる。そうだ、私は彼女たちから向けられた「うざい」という言葉に少なからずショックを受けているのだ。
とても曖昧な言葉だ。曖昧な分、その言葉は頭のなかでわんわんこだまする。結局私も亜莉沙や、亜莉沙を笑うあの子達を馬鹿にすることで優越感に浸っていたのだろうか。そう思うと急にやるせない気持ちになった。亜莉沙も、あの金髪たちも、そして自分も消えればいいと思った。

講義室のある棟から外に出るとひんやり冷たい風が頬をさする。少し歩くと図書館前のベンチに見慣れた姿があった。今最も見たくない顔と言っても過言ではない亜莉沙の姿だった。
亜莉沙は私に気付くと大きく手を振って笑った。
「優子、授業さぼってんのかよー。私はさっきバス逃しちゃったから暇潰し中!」
あると信じて疑わない合コンのせいか、やけに機嫌が良いその弾む声に私は苛立つ。
「ねぇ、あんた、なんで私に話しかけてきたの?なんで授業中私の横に座るの?別に知り合いでもなんでもないじゃん。」
私が突然投げた刺だらけの言葉に亜莉沙は一瞬きょとんとする。しかし、傷ついた顔も不愉快な様子も見せず、少し照れたように、「だって、優子だしさ。優しい子なんだろうなって。」と笑う亜莉沙に私は肩の力が抜けた。それが本当だとしたら何て損な名前なんだろう。そして、優しさとは全く逆の濁った感情ばかり持つ私がその名前を名乗るのは、なんて気が重いんだろう。
「あ、ご飯の時の優子の友達、ごめんね。私人見知りじゃん?しかもめっちゃ可愛い子だったからなんか対抗心沸いちゃってさぁ。今思ったら私も大人げなかったなぁって超反省してた。謝っといて?」
私はその時初めて亜莉沙の、本当に申し訳なさそうな、しょげた顔を見た。その軽い話し方とは裏腹に、本当に反省しているということが伝わって、ほんの少しだけ、本当にほんの少しだけ鬱蒼としていた気分が和らいだ。
私は「あぁ」だか「うん」だか適当に相槌を打って亜莉沙に背を向ける。
数歩進んだところで少し迷って振り返る。
「あのさ、今日の合コン中止になったらしいよ。さっきあんたの金髪の友達があんたに伝えといてって言ってた。」
亜莉沙は「え、そうなの?」と明らかに残念そうな顔をする。
「まぁ、じゃぁ伝えたから。」私は何か言いたげな亜莉沙を残して大学を後にした。