50音ショートショート

50音分のタイトルで短編を書き終えれたら、関係ないけどとりあえず仕事やめようと思う(-A-)

(え)えっちゃん

えっちゃんは昔からとても好奇心旺盛で勉強熱心な女の子だった。興味を惹かれることがあると徹底的に調べ、学び、そして自分なりの仮説を立て、試し、また学ぶ。そして一度覚えたことを忘れることがなかった。
幼少期からその特性を発芽させたえっちゃんは3歳の時には世界地図の196ヵ国の国名と位置と国旗を完全に覚えていたし、5歳の頃には常用漢字の成り立ちまで把握し、小学校に入学する頃にはモーツァルトを熱心に聴いて自分でも弾いた。低学年では植物に関心を持って様々な花をいかに美しく咲かせるかに熱中し、高学年になる頃には遺伝子組み換えについての難しい本まで読むようになっていた。

えっちゃんの両親は小さいけれども歴史のある和菓子屋を経営していた。お父さんは高校を卒業後すぐに店を継ぎ、お母さんは短大を中退してえっちゃんを生み、和菓子屋に嫁いだ。
勉強や学歴と縁のない人生を歩んできたえっちゃんの両親は大変喜んだ。
「恵理子は神童だ!」「この子は何にだってなれる!」

えっちゃんの両親は、決して余裕があるとは言えない家計をなんとかやりくりし、えっちゃんが興味を持つものはできる限り与え、えっちゃんの希望することは何でもやらせた。

えっちゃんは高校に入るまで一人も友達ができなかった。同じ年の女の子も男の子もえっちゃんの話す内容の10分の1も理解できなかったのだ。だからえっちゃんがいじめられるようになったのは当然のことだったのかもしれない。
だけどえっちゃんは全く気にも留めず、中学の頃はシェイクスピアにどっぷり浸っていた。

えっちゃんは両親の期待とは裏腹に、偏差値がとても高いとは言えない地元の公立高校に進学した。えっちゃんはとても賢く、膨大な知識を持っていたが、如何せん興味が受験勉強に向かなかったのだ。いくら数学の難しい定理を理解していても鎌倉幕府を誰が起こしたのかを知らないと合格点には達しないし、いくらシェイクスピアを制覇していても高校受験にそれらの知識は求められない。
と、いうことでえっちゃんはその小さな頭に詰まった知識量には全く見合わない高校に、その偏差値にぴったりな頭を持つ私と共に入学したわけだ。

「好き勝手生きてきてさ、これからもこの調子でいくぞーって思ってたんだけどさ、私聞いちゃったんだよね。」
高校2年生の夏。えっちゃんは突然進学のための勉強を始めた。私は頭こそ良くなかったが勉強は好きで、殆どの生徒が授業中喋ったり居眠りをするなか真面目に授業を聞いているかなり珍しい生徒だった。えっちゃんはそんな私に声をかけ、中学時代にこなしておくべきだった学習内容を教えてほしいと頼んだ。
私が中学三年間分の各教科の教科書をパラパラ捲りながら説明すると、えっちゃんは一週間で完璧にそれらを理解した。私の役目が完全になくなってからもえっちゃんは私に話しかけ、自分のことも話してくれるようになった。

「大学だって今まで行かなくていいだろうって思ってたんだ。勉強も研究も一人でもできるし」
放課後、西陽の差し込む窓側の席に長い足を組みながら座るえっちゃんは続ける。
「でもオバァがさ、母さんに言うのを聞いちゃったんだ。」
えっちゃんのおばあさんは、才能を学校の勉強に向けず、かといって店を継ぐ気も見せないえっちゃんを良くは思っていなかった。
そして、「あんたが好き勝手させたせいで恵理子はどうしようもない馬鹿に育ってしまった。」と、えっちゃんのお母さんに当たったそうだ。
お母さんが大好きだったえっちゃんはそのワンシーンを目にして酷く心を痛めた。そしてお母さんの名誉挽回のため、とりあえず日本一の大学受験を決めたらしい。

実際にえっちゃんの成績はぐんぐん伸び、私たちの学校では全く手に負えない学力に一人で到達していった。高校3年生の夏にはえっちゃんは大学生になる準備だと言って化粧を覚え、私ですらドキッとするぐらい美人になった。
そうなると今までえっちゃんを変わり者だと邪険にしていたクラスメイトたちの態度も変わった。女子は将来の東大生と繋がりを持とうと必死に取り入ろうとし、男子は知的美人をモノにしたいと必死に口説いた。
だけどえっちゃんはすべてを無視し、相変わらず私とだけ会話をした。

高校を卒業して、えっちゃんが無事東大に合格したと連絡を受けた私は卒業式以来初めてえっちゃんと会った。私は地元の短大に残ることが決まっていたし、これから東京で華やかな大学生活を送るえっちゃんと会うのはこれが最後だと私は理解していた。
だからこそ、ずっと留めていた私なりの仮説を確かめてみたくなってえっちゃんに質問をした。
「え?なんで私があんたと友達でいたかって?」えっちゃんは心底つまらない質問を聞いたかのような顔をした。
「人の程度に合わせてコミュニケーションを取る練習だよ。これから上手く生きていくには社交性も大事だから。私、上手くあんたと話せてたでしょ?相手のレベルに合わせて話を砕いて話すの、だんだんわかってきた。まぁ大勢を相手にするのはしんどかったから、あんたは特別。」
えっちゃんはとても綺麗に笑った。
私も思わず笑った。えっちゃんの答えは想像通りだったし、えっちゃんはとても正直だった。
それでいいのだ。
利用されていたとしても、えっちゃんと話していた時間はとても楽しかったし、一方的であったとしてもえっちゃんと友達でいれる自分に自信を持てた。
それでいいのだ。
えっちゃんの輝かしい人生には、どう考えても私は必要なかった。
それがいいのだ。

私たちは他愛もない話を少しして、「じゃぁ」と手を振って別れた。
強がりではなく、とても満ち足りた気分だった。
クラスの子達のように、卒業アルバムに寄せ書きをして、写真を沢山撮って、別れを惜しんで大好きだと抱き合う友達はできなかった。だけど、自分にも他人にも嘘偽りなく真っ直ぐ生きている人が傍にいた。それだけで私の高校生活は充分幸せだった。

意気揚々と角を曲がろうとした時、えっちゃんが私の名前を後ろから呼んだ。私はそれだけで嬉しくって振り替える。
えっちゃんは私たちが別れた場所から一歩も動いてなかった。
「私、声かけたのがあんたで良かったよ。毎日楽しかった。あんた聞き上手だしさ、つまんない短大行ってつまんない就職するより、それ活かしたら。きっと救われる人いるよ。」
えっちゃんはそこまで一気に言って、そして、小さい声で、耳の良いことが自慢の私がやっと聞き取れるようなボリュームの声で「私みたいに」と続けて、少し恥ずかしそうに笑った。
私も笑った。そして大きく手を振った。

賢くて、正直で、冷たくて優しいえっちゃんのこれからを応援する応援団のように、いつまでも大きく大きく手を振った。