50音ショートショート

50音分のタイトルで短編を書き終えれたら、関係ないけどとりあえず仕事やめようと思う(-A-)

(く)クリスマス・サプライズ

隣の席に座った男の顔を見たとき、ぴんときた。
男が網棚に何やら荷物を押し込み、座席に腰掛ける際、一瞬だけ目があったのだ。
その「ぴん」は、運命の人を見つけた時の「ぴん」でもなければ、「あ、◯◯さんだ」という明確な「ぴん」でもない。
誰かはわからないし、恐らく知り合いでもない。
しかし、どこかで見たことがあって、しかも割と重要な人物なのではないか、という警察官の勘による「ぴん」だった。

とは言っても、今はもう勤務外で、僕は家族のもとに帰る電車に乗っていた。
普段であれば勤務外だとしても、何らかの事件と関連があるかもしれない人間を見ると必死に頭を回転させ、その人物の動向を探るぐらいのことはするのだが、今日は全くそんな使命感は湧いてこない。
仮にこの男が犯罪者だったとして、僕が下手に気付いてしまいでもしたら、今晩は家に帰れなくなってしまうかもしれない。
何があってもそれだけは避けたい。
今日は愛すべき家族と過ごす年に一度のクリスマスイブなのだから。

時刻はすでに21時を過ぎていた。
本来なら18時には勤務先である交番を出て、19時には自宅に着けるはずだった。
しかし、そういう日に限ってごたごたした些細な事件は起こるものだ。
くだらない残業を終え、予定より2時間遅れて僕は電車に乗り込んでいた。

車内は程よく混んでおり、仕事帰りのサラリーマンや、デート帰りの若いカップルたちが、通路を挟んで二席ずつ並べられた座席を埋めていた。
あと30分もすれば自宅の最寄り駅に着く頃だ。
僕は足元に置いた紙袋の中身をちらりと確認する。
ロフトの紙袋の中には真っ赤な衣装が入っている。それはサンタクロースの衣装で、ご丁寧にふわふわした真っ白い付け髭までついている。
サンタクロースサプライズは、そろそろサンタの存在を疑い始めた小学二年生の娘、彩香のために準備したものだった。
準備したと言っても、交番の近所の小学校でサンタの格好をして交通指導した時のものを物置から引っ張り出してきただけなのだが。
僕は背もたれに上半身を預けながら、娘のことを思い浮かべる。
サンタの正体を暴こうと、薄眼をあけて寝たふりをする彩香。暗闇の中、プレゼントを持って現れるサンタ。
彩香は起き上がるだろうか、それともドキドキしながらも眠ったふりを続けるだろうか。
自然と頬が緩んだ。

そんな僕の平和で安らかな空想を打ち砕いたのは、キィーっというけたたましいブレーキ音だった。
僕は思わず窓の外を見る。
電車は大きな川に架かる橋の丁度真ん中あたりを走っていて、窓の外には殆ど灯りが見えない。勿論外が明るくてもここからでは電車がブレーキをかける原因等わかるわけもないのだが。
窓からは、辛うじて外に雪がちらつき始めていることが確認できた。
ブレーキ音を合図に電車はみるみる減速し、数秒後には完全に停止してしまう。

車内が静まり返ると同時にアナウンスが入った。緊急事態に慌てているのか、それとも普段からそんな感じなのか、やけに早口の女性が、緊急停車を無感情に詫びた。車体に何らかの異変が確認されたが、それが何なのかはわからないという旨も同時に伝えられた。
アナウンスに周りはざわめき、後ろの座席からは舌打ちが聞こえた。

僕は真っ暗な窓の外を見つめたままため息をつく。 早く帰りたい日に限って残業は発生するし、おまけに電車が遅延したりするものだ。
電車に乗り込んだ時点で、もうとっくに晩御飯を家族と共に食べられる時間は過ぎていたが、クリスマスケーキは一緒に食べられるはずだった。
しかし、22時を過ぎればさすがにまだ幼い娘は待っていられないだろう。
一刻も早く電車を動かせてもらえないだろうか。
「只今原因を調査中」と早口に繰り返すアナウンスに、僕はただただ懇願するばかりだった。

「あなたもサンタクロースですかな?」
この小さな不幸せに絶望し、頭を抱えていた僕は、最初その言葉が自分に向けて発せられているものだとは思わなかった。
視界の隅に入っていた隣の席の男が、こちらに顔を向けていることに数秒遅れで気づき、僕は慌てて男に目を向ける。
その男は真面目なサラリーマンにも、イタズラ好きな老人にも見えた。
白髪が混じる髪は丁寧に整えられており、顔には皺が多いが老けている印象は一切受けない。50代と言われても不思議ではないし、70代と言われても納得できる。不思議な雰囲気のある男だった。
僕は幼い頃から比較的記憶力に自信があり、人の顔に関しては一度会えばよっぽど個性のない顔でない限り概ね忘れはしない。
しかし、その男の顔を見たことがある気はするものの、どうしても記憶の中に該当する人物がいなかった。恐らくこんなに至近距離で見たことはないのかもしれない。

「どこかで見たことある男」に、「突然わけのわからない質問をされた」という事態に混乱し、僕は男に顔を向けたままただ目をぱちくりさせていた。
すると、彼は「それ」と、僕の足元を指差して微笑んだ。
僕は、その指が指す紙袋に視線を落としてから、漸く質問の意味を捉えた。
「あ、あぁ、そうです。今晩はサンタです。娘がサンタの存在を疑いだして」
僕は男に向き直って微笑んだ。
そして、「あなたも」と言った男の言葉を思い出し、「おたくもですか?」と加えた。
男は「ええ」と微笑んで、膝の上に置いてあったトートバックを傾け、中身を僕に見せてくれた。そこには綺麗な赤色の衣装が入っていた。それは一目見るだけで、僕のペラペラの衣装とは異なり、上質な生地でできていることがわかった。
「娘さんはおいくつなんですか?」
トートバックを再び膝の上に真っ直ぐ立たせながら男は尋ねた。
「小学二年生です」
「あぁ、確かにサンタクロースを疑い始める年ですね。もっと早くに疑う子供も少なくはないでしょうが」
「おたくのお孫さんはまだ信じてますか?」
そう聞いてから、「お孫さん」ではなく「お子さん」だったかな、と少し後悔したが、彼は「わかりませんが、まぁ信じていてほしいという大人のエゴですな」と上品に笑った。

男が言い終わると同時に、再び車内アナウンスが流れた。
当初から情報が更新されることも、女性の早口がなおることもなく、「原因を調査中」という内容を2回繰り返し、アナウンスは切れた。
「これは思わぬ足止めですな」
僕は彼の言葉に大きく頷いて同意を示す。
「そういえば、サンタのモデルが何かはご存知ですか?」
男は徐に僕に尋ねた。
電車が動かないことへの苛立ちや退屈さを、僕との会話で埋めようとしているのだろう。僕自身も暇を持て余していたので、彼の話にのることにした。
「あぁ、聞いたことがあります。確か聖人とかなんですよね」
「よくご存知ですね、聖ニコラスという人物です。ある晩、貧しさゆえに娘を嫁に出せず苦しんでいた家に、彼がこっそり金貨を窓から投げ入れたのがモデルなんですって」
「テレビで見たことある気がします」
僕は昔みたそのテレビ番組の内容をぼんやり思い出しながら続ける。
「でもニコラスさんは12月24日に金貨を送ったわけでも、真っ赤な服と帽子を身につけていたわけでもないんですよね」
「ええ、そもそもクリスマスはイエスキリストの誕生日ですしね、ニコラスは関係ありません。今のサンタイメージは後にコカコーラ社が作ったものらしいですしね」
僕は「へぇ」と漏らす。
皆が皆「サンタクロース」だと思っているあの陽気な老人は、大企業により緻密に設計されたデザインにすぎなかったわけだ。
そう思うと、途端に安っぽい真っ赤な衣装に今夜身を包もうとする自分がやけにマヌケに思えてくる。

「サンタクロースの成り立ちは何にせよ、大人は子供にサンタクロースを信じていてもらいたいし、子供はサンタクロースに実在してもらいたい」
なんとなく足元に置いた紙袋を隅においやる僕を尻目に、男は独り言のように呟いた。
そして、照れたように笑いながら続ける。
「ここまでその存在が否定されているのに、どうしてサンタクロースにはこうも魅力を感じてしまうんでしょうね」
「そうですねぇ」僕は男の言葉について考える。
普段ならこんな話、てきとうに流して「まぁいいじゃないですか、どうでも」と笑い飛ばしてしまうだろう。
しかし、今は完全にすることもなく、いつ解放されるかもわからない密閉空間に知らない人間同士が閉じ込められている。そんなプラスの要素が何一つ見つけられない中、呑気な会話に集中することは精神の健康のために最適であると僕は考え始めていた。

「まず設定に夢がありますもんね。貧乏でも欲しいものがもらえる、とか、良い子にしてればサンタさんが来る、とか。実在することにメリットしかないわけだ」
僕の返答に男は嬉しそうに笑う。
こんなぐったりした空間で、いい大人が二人してサンタクロースというテーマに花を咲かせる光景はさぞ異常なものだろう。
しかし、僕たちはその後もサンタクロースに纏わる歴史やその存在価値についての意見を交わし合い、自分でも驚くほどあっという間に時は過ぎていった。
そして、彼がサンタクロースのもう一つのモデルであるアイスランドの妖精の話を終えた頃、とうとう車内アナウンスが運転再会を告げた。
車内から小さな歓声が湧いた。
アナウンスは緊急停車の原因となった電気系統のトラブルについて説明をしていたが、早口過ぎて殆どわからなかった。時刻はまもなく22時だった。

電車がゆっくりと動き出した頃、僕は昨年おこったある事件を思い出した。
はっきり思い出すより先に、「そういえば」と話し始める。
電車が動き出したことへの安堵と、聞き上手なこの男との会話の心地よさから、口が軽くなっていたのかもしれない。
「僕、実は警察官なんですけどね、昨年のクリスマスに一件ある相談を受けましてね」
男は「警察官」というワードに、「ご立派なお仕事を」と反応し、話の続きを促した。僕はさらに気分が良くなる。
「その相談というのは、クリスマスイブの夜に何者かが不法侵入していたかもしれない、という女性からのものだったんです」

その女性は、交番のすぐ傍のアパートに住むシングルマザーだった。
まだ若いはずなのに、すっかり窶れた顔からは一人で子供を育てることの苦労や辛さが滲み出ていた。
彼女は少し戸惑ったように何度も言葉を選びなおしながら、事の経緯を話した。

彼女は小学一年生になる一人息子を養うため、前日の夜、つまりクリスマスイブに飲食店で夜勤をしていた。クリスマスを祝うどころか、息子にプレゼントを買ってやる余裕は金銭的にも精神的にも彼女にはなかった。
クリスマスの朝、夜勤を終えて帰宅すると、息子は何やらはしゃいだ様子で、見覚えのないオモチャで遊んでいた。
それは小学生の間で流行っているロボットのオモチャだった。
彼女は、寝不足でぼーっとする頭を動かしながら、「それはどうしたのか」と息子に尋ねる。
「サンタさんだよ!」と弾けたように笑顔を見せた息子が説明するには、朝起きると玄関マットの上に、綺麗にラッピングされたそのオモチャが置かれていたらしい。

「盗られたものとかはないんですが、なんか気味悪くて」
彼女は困ったようにそこで言葉を切った。

僕は、彼女のアパート周辺の警備の強化を約束してから、周辺に設置されている監視カメラのデータを集め、念のため確認を開始した。
別に被害届がでているわけでもないので、聞き流してしまっても良かったが、その日はとてつもなく暇だったのだと思う。
そうして、監視カメラが記録していた見慣れた風景をぼんやり見ていた時、それが映ったのだ。

「何が映ってたんですか?」
トートバックを抱え、興味津々で尋ねる男の反応に、僕は得意げに笑う。
そして、「それがね」もったいぶるように一拍置いてから「サンタクロースだったんですよ」と、続けた。

その映像には確かにサンタクロースが映っていた。
あの、コカコーラ社がプロデュースしたお馴染みの衣装と髭を装着し、何かがぎっしり詰まった白い袋を肩に担いでるサンタクロースが、だ。
監視カメラの映像は白黒だったため、その衣装が赤かどうかはわからなかったが、一目でサンタクロースの格好をしている「誰か」だということがわかった。
僕は一応そこに映ったサンタクロースの顔を拡大するなり、鮮明化するなり工夫を凝らして、シングルマザーの女性に確認してもらったが、彼女は「見覚えはない」と答えただけだった。

「あれはなんだったんでしょうか」
僕は興味深そうに頷いている男に問いかけるように言葉を続ける。
「交番内では、彼女の元旦那のサプライズじゃないか、とか、戸締りを忘れていて誰かが部屋を間違えたんじゃないか、とかで片付けられたんですけど」

電車は大きな川を渡ってしばらく走った後、僕の最寄駅から3つ前の駅に到着した。
車内の何人かが、やれやれといった感じで降りていく。

「本物のサンタクロースだったりして」
入れ替わる人たちを横目に見ながら、男は優しく微笑む。
僕もつられて微笑む。
「あなたは、そのサンタクロースをどう思いますか?」
男は微笑みながら僕に尋ねる。その表情は優しくも厳しい校長先生のようだった。
「人様の家の扉を勝手に開けるのは犯罪だ、たとえ足を踏み入れず、プレゼントを置いていってるだけだったとしてもね。警察官のあなたとしては、そんな人間をどう思いますか?やはり、逮捕すべき犯罪者ですか?」

僕は彼の言葉を脳内で反芻する。
母親には他人が無断で部屋に入っているという恐怖を与えてしまうが、子供にとっては幸福な思い出となるはずだ。
しかし、やはり法に触れる行為は褒められたものではない。

「そうですね、警察官という立場からは何とも言えませんが」
僕はふと、監視カメラの映像を見た時の女性の顔を思い出す。
サンタクロースの格好をしたその謎の人物を見た途端、小さく吹き出して、柔らかく笑ったその女性の顔を。

「もしもサンタクロースがいるのだとしたら、決して捕まらないようにやっていただきたいですね」
僕の答えを聞くと、男性は軽快に笑った。
電車はまた走りだし、間も無く次の駅へ到着することをアナウンスが告げる。

「さて、私は次の駅だ。漸く我々もサンタクロースになれますね」
「ええ、でも僕が帰る頃には娘は熟睡してそうですけどね」
苦笑いする僕に、男性は優しく笑って言う。
「現実世界と夢の世界は意外と繋がっているものですよ。どうか娘さんが眠っていてもその衣装を着て、プレゼントを置いてあげてください」
電車はだんだん速度を下げていく。
乗客の何人かは、脱いでいたコートを着たり、荷物を網棚から降ろすために立ち上がり始める。

男はトートバックから赤いマフラーを引っ張りだし、首に丁寧に巻きながら、「そういえば」と、僕を見た。
「サンタクロース協会というのはご存知ですか?」
僕は首を振る。
「元気と暇とお節介を持て余している老いぼれたちが結成しているお遊びの会です」
「何をする会なんですか?」
僕が言い終わると同時に、電車がホームに滑り込んだ。男性は立ち上がる。
そして、トートバックとは別に、網棚から大きな荷物を取り出して両手で抱えた。
僕は「あ」と声を漏らす。
男は、どこかで見覚えのある大きな白い袋を肩に担ぐと、にこっと笑って答えた。
「サンタクロースの真似事なんですって」

電車の扉が開く。乗客は通路に小さな列を作り、ゆっくり下車してゆく。
「こんな夜にあなたとお会いできてよかった。メリークリスマス」
「あ」の形で口を開けたままにしている僕に行儀よく頭を下げ、男は車内から姿を消した。
少し遅れて、僕の頭の奥で「ピン」という音が間抜けに鳴った。