50音ショートショート

50音分のタイトルで短編を書き終えれたら、関係ないけどとりあえず仕事やめようと思う(-A-)

いまがそのとき

「どうしてまだ聴いてないの、チャーリー・パーカー!せっかく勧めてあげたのに!」
ストローをくわえてジンジャエールに息をぷくぷく吐き出しながら僕を睨む恭子を「行儀が悪い」と咎め、僕は自分が頼んだアイスコーヒーに口をつける。
それはカランという氷の音が心地よく響く晴れた日の午後で、僕と恭子は午後一の講義を抜け出し、味はお世辞にも良くないが値段と雰囲気の良い大学横の喫茶店でいつものように暇を持て余していた。

「淳くんがお薦めの曲はないかって言うから教えてあげたのに、1カ月たってもまだ聴いてないなんてあんまりだ。」
恭子はストローから口を離し、拗ねたように片手で頬杖をしてそっぽを向く。
「聴こうとはしたよ。ただ、アルバムが多すぎて何を聴けばいいかわからなかったんだ。」
嘘ではない。先週借りっぱなしだったDVDをTSUTAYAに返すついでにそのアーティストの棚に行ってはみた。テキトーに借りてみようかとも思ったが、DVDの延滞料金に寂しくなった財布を気遣い、その棚を素通りしたことを恭子に言う義務はない。

「じゃぁ、NOW'S THE TIME!この曲、
私のお気に入りだから聴いて」
「今は時間です?」
「今がその時」
「良いタイトルだね」
「思ってないでしょ」
恭子は呆れたように笑って残りのジンジャエールを飲み干す。
その細い腕につけられた腕時計は3限の終了時刻を指していた。僕には次の授業を知らせる時間で、恭子にはバイトの始まりを告げる時間だ。
喫茶店を出てからまた来週のこの時間まで、僕が干渉できない彼女の毎日が始まろうとしている。

「そうだ、お母さんが最近淳くんが家に遊びに来ないって寂しがってたよ。」
財布からジンジャエールの300円をきっちり出しながら恭子が言う。
「恭子が夜バイトばっかなんじゃん。」
僕も300円を財布から探しながら答える。
「別に私がいなくても来たらいいじゃん。ご近所さんで幼馴染みなんだし。」
僕の300円と伝票を手に取り、立ち上がってからお馴染みの彼女は「それに、」と続けた。
「私、来月から留学行くんだ。とりあえず1年間。お母さん、寂しがるから、淳くん遊びに行ってあげてね。」

僕らはいつも通り、喫茶店の前で別れた。いつもなら大学に戻る僕はしばらく喫茶店の前で立ちすくんだ後、大学に戻る気にもなれず一人電車に乗って家に帰った。

留学なんて全く知らなかった。
僕は混乱して、呆然としている自分を恭子に悟られないよう装うのに必死だった。

恭子は昔から弱虫で、泣き虫で、何も自分では決められない、音楽が好きなだけの女の子だった。いじめっ子から恭子を守るのは僕の役目だと思ってきたし、僕が志望する高校や大学に恭子がくっついてくるのもごく自然だと思っていた。
僕らの間には「付き合う」だとか「好き」だとか、そんな言葉は一切なかったけれど、恭子が自分から勝手に離れることはないだろうと、愚かにも僕は信じきっていた。
しかし、彼女はいつの間にか自分で自分の道を決め、そして着実に歩き出そうとしている。
置いていかれるような、裏切られたような、寂しいような、腹立たしいような、悲しいような、切ないような、なんと呼べばいいのかわからない感情がどっと僕を支配する。

今まで味わったことのないそれらの感情と共にベッドに横たわりながら格闘しているうちに僕は眠ってしまっていた。
夢の中では恭子が頬を膨らませて何かを訴えている。
「早く聴いてってばー!絶対淳くんも気に入るよ!」
なんのことだろう。僕は夢の中で考える。
あぁ、彼女のお気に入りの…外国人の…何て言ったか、チャーリーなんとかの曲のことか。
そいつの何を聴けばいいんだっけ、なんか英語のタイトルの…
僕ははっと目覚める。弾けたようにベッドから飛び起き、部屋の隅に落ちてあった鞄から財布を取りだして勢い良く家を出た。

すっかり暗くなった夜の道をできるだけ全速力で走った。
恭子のお気に入りの曲を聴こう、今すぐに。音楽も英語もわからないけど、その1曲だけは真剣に聴いてみよう。家には英語の辞書だってある。歌詞も全部訳して、なんなら覚えて、恭子に「ちゃんと聴いたぞ!」って言ってやろう。

僕はTSUTAYAに飛び入り、恭子が口にしたその曲がそのままアルバムのタイトルになっているCDを手にしてレジに向かう。そして部屋に戻り、息もつかずCDコンボを起動させ、曲を再生した。
殺風景な部屋に歯切れの良いサックスの音が響く。一粒一粒の音が心地よく僕を包み込む。
僕は息を切らしつつもCDコンボの前で正座して目を閉じ、その音に聞き入った。

曲が終わり、ゆっくり目を開けた僕は力なく吹き出す。
借りたばかりのCDジャケットに日本語で書かれてある説明に目を落とす。

チャーリー・パーカーはジャズミュージシャンでアルトサックス奏者…

「歌じゃないのかよ…」
心地よく響き続けるサックスの音にため息をつきながら僕は時計を見る。
22時30分。そろそろ恭子がバイトから帰ってくる時間だ。
僕はご機嫌に流れ続けるアルトサックスの音を停止し、立ち上がった。

恭子に文句を言いに行こう。
音楽素人の僕にジャズミュージックなんて高度なもの勧めてくるなんて。
いつの間にか僕を置いて、僕の知らない世界に黙って進もうとする彼女に、ありったけ文句を言って、そして不甲斐ないこの気持ちを、心の底から好きだということを隠さずに伝えに行こう。
彼女に会いに行こう。
今がその時だ。