50音ショートショート

50音分のタイトルで短編を書き終えれたら、関係ないけどとりあえず仕事やめようと思う(-A-)

(た)たて、たて、よこ

「僕はね、かっこいい大人になりたかっただけなんですけどね」

男は、まるで「とほほ」とでも言わんばかりの間の抜けた笑みを虚しく浮かべながら、そっと呟いた。
かれこれ30分ほど前から男が書き始めている遺書は、既に3ページ目に突入している。

「それが、まさかこんな情けない死に方するはめになるなんて。子供の頃の僕に教えてやりたいですよ。そしたら、もっと別の道を選べたのに」

私は、ただ無言で、机に向かう男の姿を眺めていた。
この男は、一体何ページ遺書を書く気だろう。
遺書が長い人間ほど、未練が多く、最後の最後に死ぬのを躊躇してしまうことが多い。
躊躇しようがしまいが、男が死んでしまう結論に変わりはないのだが、早くしないと夜が更けてしまう。

「それにしても、あなたの仕事には驚いた。どんなに偉くなった気でいても、人間、知らないことだらけなんですね。まだお若いようですけど、この仕事は長いんですか?」
男が、便箋から顔をあげ、こちらを振り返る。
無駄口を叩かず、早く書き終えてくれないものか、と、内心ため息をつきながら、「5年です」と、私は静かに答えた。
この男に気持ちよく死んでいただくことも、私の仕事のうちなのだ。

「5年か…。あなたは、業界内でトップクラスの幇助人だと聞いています。5年でそこまで登りつめるとは、きっと、よほど優秀なお方なんですね」
肯定も否定もせず、私は無表情を貫く。
その愛想のない反応に、男は曖昧に笑ってから、また遺書に取り掛かった。

実際、5年どころか、3年以上幇助人を続けられる人間は、殆どいない。
人が自ら死んでいく瞬間を見とどける仕事だ。
普通の精神の持ち主であれば、すぐに参ってしまう。
たとえ精神を保てる人間であっても、運が悪ければ、自分の痕跡を警察に辿られ、自殺幇助罪、下手すれば殺人罪で逮捕されてしまう。
その代わりと言ってはなんだが、報酬はかなり良く、まさにハイリスク・ハイリターンを地でいく仕事だ。

便箋を走るペンの不規則な音がぴたりと止まった。
「よし。お待たせしました。書きあがりました」
男は遺書を私に差し出した。
私は、手袋をはめた手でそれを受け取る。
結局、「美由紀へ」で始まるその手紙は、合計4枚にまで及んでいた。

中身をろくに見ることもなく、それら便箋1枚1枚を、私は機械のようにタブレットで撮影した。

4枚全ての撮影が終わり、顔をあげ、男の方に向き直る。

「お疲れ様でした。石川様の遺書は、確かにデータとして保存させていただきました。石川様の死後、万一、第三者によってこの遺書が破棄されることがあっても、我々がこのデータをご家族にお届けいたします。と、言いましても、今回は依頼人が石川様ではなく、吉住様でいらっしゃいますので、一度内容を吉住様にご確認いただきますが、よろしいでしょうか」
たとえ、この男が「よろしくない」と答えたところで意味はないのだが、一応彼の返事を待つ。
「ええ。吉住大臣のシナリオ通り、事件の顛末についてはきちんと書いてますよ」
男は、渇いた笑顔を少し引きつらせて言った。

私は小さく頷いて、撮影したばかりの遺書のデータを依頼者に送信する。
「では、確認が取れるまでしばらくお待ちください」

ホテルの室内に沈黙が訪れた。
この時間が一番苦手だ。
自殺予定者が、そのまま沈黙して待っていてくれればよっぽど有難いのだが、大抵の人間はこのタイミングで、ここぞとばかりに話し始める。

何しろ数十分後に、自分は死んでしまうのだ。
最後に、自分の人生について語って聞かせたがる者、自らの不運を嘆きだす者、あれこれ質問してくる者…。
すぐあとに待っている「死」の恐怖に飲み込まれぬよう、彼らはそれぞれ必死に口を開き続けるしかないのだ。

この男も例外ではなく、口を開いた。

「あなたは何故、この仕事に就いたんですか?」
突然の質問に、私は沈黙する。

「いえ、すみません。きっと、よっぽど深い事情があるんですよね、軽率でした。あなたのような若くて綺麗な女性が、こんな日陰の仕事をしていることが、なんだか気の毒で」

思わず苦笑いを浮かべそうになってしまう。
自殺に追い込まれている人間に、同情されるとは、なんて滑稽な話なのだろう。

「これがあなたの本当に最後の時間となります。せっかくですので、私の話よりは、あなたのお話をしてくださった方が有意義かと」
質問攻め程面倒なことはない。
それならば、まだ男に話させたほうが楽だ。 

しかし、男はゆっくりと首を横にふる。
「いえ、もういいんですよ。私の人生なんて本当にくだらなかった。親の言うまま必死に勉強して、政治家になって、生半可に正義感を振りかざそうとしたら嵌められて、罪を着せられて死ぬだけなんですから」

通常、幇助人には、自殺予定者の情報は一切知らされていない。
しかし、この男は最近何度かテレビで見たことがあった。
つまりは、多額の賄賂だか不正金だか、政治界にはありふれた汚い話に巻き込まれ、責任をなすりつけられて、結局死に追いやられている。
ありきたりな話だ。
そんなありきたりな、くだらない理由で、税金を原資に我々を雇い、誰か適当な犠牲者を自殺させて解決を図るのが、この国のやりかたなのだ。


そして、私たちは主に、その狂ったシステムを喰いものにして生きている。

「そういえば、あなたのお名前は?」
「吉村です」
いつものように、適当に思いついた偽名で返す。
「吉村さん。吉村さんがこの仕事をしてきたなかで、結局自殺しなかった人っているんですか?」
「いるにはいます」

男の顔が少し明るくなった。
「しかし、それは自ら依頼されてきた方ばかりですね。依頼者が自殺予定者と別にいる場合は、石川様もご存知の通り、その2者の間で既に契約を結んでおりますから。それを破棄した場合、普通に働くだけでは返しきれないほどの違約金が課せられます。逃げ出すのであれば、その契約を結ぶタイミングがほぼ最後ですね」
男の顔がまた曇り、渇いた笑顔がまた張り付いた。
「ですよね。まぁ、違約金なんてなくても、結局家族を人質にとられてるようなものですから。僕はもう死ぬしかない」
彼は、自分の左薬指に嵌められた指輪に視線を落として呟いた。
まだ新しく見えるそれは、室内を照らす照明の光を受け、無邪気にピカピカ光っている。

それから、気を取り直したように視線を上げ、「自分で自殺幇助を依頼した人は、ギリギリになって取りやめてもいいんですか?」と尋ねる。
「構いません。ただ、我々幇助人と顔を合わせた時点で、ご利用料金は全額お支払いいただく必要があります。大抵、お支払いはご自身に賭けた保険金からなさいますので、直前キャンセルはお客様の懐的に苦しいものかと」
「なるほど。そこまで自分を追い詰めて、自殺を幇助してもらいたい人もこの世にはいるんですね」
男はうんうんと頷きながら、また口を閉じた。

私は、遺書の確認完了メールがまだこないかとタブレットを見つめるが、音沙汰はない。

「それでも、僕みたいに依頼者が別にいる場合、要は、無理矢理自殺させられようとしてる人の場合、逃げようとする人はいませんでした?吉村さんに危害を加えようとしたり」
「我々のサービス利用者様は、紳士な方が多いので」


嘘だった。
実際、自殺に追いやられた人間が、一か八か逃げようとしたり、幇助人に暴力を振るうケースもよくある。
ましてや、幇助人が女であれば、最後の思い出に、とでもいうのか、暴行を加えようとすることも珍しくはない。
その時のために、私たちは日頃から最低限対応できるだけのトレーニングをしているし、今も仲間が私たちの様子を逐一モニタリングしている。


だから、今まで怖いと思ったことはないし、仮に不意打ちで殺されてしまったとしても、それはこんな世界に長く浸ってしまった自分への罰だと、諦めがついている。
むしろ、いつもどこかでそれを願っているのかもしれない。

「それは良かった」
男は微笑む。
心底「良かった」と思っているかのような言い方だった。
なるほど、このお人好しは、政治界では格好の餌食だ。

タブレットが振動した。
依頼者からの返信だ。
画面には、「問題なし」との短い文が浮かび上がっている。

「吉住様の確認がとれました」
男の肩がビクッと震える。

「では、改めてご依頼内容をご確認させていただきます」


私は背筋を伸ばし、今から死なざるを得ない男の目を真っ直ぐ見つめる。

既にその目に生気は感じられない。


「今回のプランは、首吊りによる窒息死となっております。このあと、石川様には、あちらにご用意しておりますロープに首をかけていただきます」


私が手で示した方向に、男がゆっくり顔を向ける。
そこには、洋服をかけておくために設置された背の高い竿があり、そこから、輪を作った白いロープが垂れ下がっていた。
そのロープの真下には、椅子が設置してある。

「足場の椅子については、ご自身で蹴っていただいても、私がはずさせていただいても構いませんが」
「自分でできると思います」
「かしこまりました。石川様の死亡が確認でき次第、なるべく早くご遺体が発見されるよう、ホテルの従業員をこの部屋に手配いたします。ですので、ご心配なく」
「ありがとう」
男が力なく笑う。

「最後に、何かご要望はございますか?と言いましても、お聞きできることは限られており、大変恐縮ですが」
「いくつか聞いてもいいですか」

男は、ロープの下でじっと自分を待っている椅子にのろのろ近づきながら呟く。


「なんでしょうか」

男が椅子の前で靴を脱ぐ。
「よいしょ」と、場違いな声を漏らしながら、そのまま椅子の上に立ち、私の目をじっと見つめた。

「僕が死ぬことで、この世界は良くなりますかね?」
「私にはわかりかねます」

「僕が死ぬことに意味はあると思いますか?」
「そちらについても、わかりかねます」

男に張り付いていた笑顔が、頬を伝う涙で溶けていく。

涙のせいなのか、瞳からは異様な光が放たれる。


「僕はただ、かっこいい大人になりたかっただけなんだ。今まで汚いことを山ほどしてきたんだから、少しぐらい正義の味方の真似事をしてみたかった。その代償が、命だなんて、そんな馬鹿な話、ありますかね」


「…申し訳ありません、わかりかねます」

ぽたぽたと、男の涙が床に落ちていく。
私は、ただその水滴を眺めながら、氷が溶けてくみたいだ、とぼんやり思った。

「じゃぁ、もう一つだけ」
「なんでしょう」
「僕が死ぬことで、吉村さんの役には立てるんですよね」

私は沈黙する。

そして、笑ってみせることを選択した。

「勿論でございます」

男は涙と鼻水で顔をべたべたにしながら、「なら良かった」と笑った。

瞳からは光が消え、また生気を持たない石に戻る。

「こんな惨めな死を迎えるときに、一人じゃなくて本当に良かった。吉村さん、ありがとう」
「この仕事をしてきて、お礼を言われたのは初めてです」

私は、男にハンカチを差し出す。
男は、微笑んでハンカチを受け取り、ごしごしと涙を拭った。

「では、準備はよろしいですか」
男は、頷いてから私にハンカチを手渡し、そのままそっと、自分の首に白いロープをかけた。

私は、頭を下げてから、彼に背を向け、数歩下がった。
ある程度の距離を取ってから、彼の死を見とどけるために振り返ろうとしたとき、ガタンという乾いた音がした。

振り返ると、男は宙に浮いていた。

キィーという、竿の音が、悲鳴のように響き、たちまち部屋に吸収されていく。


男に息はまだあり、首に巻き付いたロープを両手で握りしめ、苦しそうに踠いている。
せっかく拭ったばかりの顔は、また涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。

私は彼に向かって、ゆっくり頭を下げる。
彼の喉から漏れるような呻き声が、だんだん消えていく。


私は長い長いその時間を、ただ頭を下げて、待っている。